阿部美穂子の韓国Pick up!:スペースアルク
 

2011年3月17日

TITLE:韓国にて……。

2月11日の韓国内での引っ越しから、1カ月がたちました。長いようで、あっという間だったこの1カ月。
子どもたちの精神状態も、ゆっくりと落ち着きを取り戻しています。しかし長男に待ちかまえていたのは、「幼稚園=新しい環境」での、社会生活でした。
実は先日、놀이터(ノリト=遊び場)で、衝撃的な事実を知ったのです。長男は日本の年齢で4歳4カ月ですが、韓国の年齢の数え方では、もう6歳になっているのだと! というわけで、クラスのおともだちより少し遅れてはいますが、さっそく幼稚園に入園させました。1日おきに「お勉強ばかりで、遊びがちょっとしかない!」と泣いていますが、それでも毎朝、ちゃんとバスに乗って登園してくれています。オンマの私にとっても緊張の日々でしたが、徐々に生活にペースができつつあります。

さて、3年間、田舎の家に段ボール箱のまま置かれていた荷物も、ようやく外の空気を吸って、のびのびしているようです。3年間の疲れ……、カビやサビや埃は本当にすごかったけれど、どうにか整理し、生活できるようになりました。これでやっと、日本で使っていた荷物も迎え入れることができます。

そして3月11日。
この日は母に、国際引っ越し便の発送をお願いしていました。「今荷物が行ったわよ。日本のお米やお味噌、すきやきのタレまで入れたからね。これから掃除機をかけるわ。」という元気な母の声を聞いて、1時間後。アッパからの電話で、
「日本で地震があったみたい。かなり大きかったって。両親に電話がつながらないから、みほこからも電話してみて」
すぐに、韓国の自宅で唯一見られる日本のテレビ放送「NHKワールド」にチャンネルを合わせました。
「大変!!」
慌てて両親に電話をかけましたが、全くつながりません。パソコンでネットに接続し、メールを確認してみました。父から午後3時過ぎに届いていたメールには「すごい地震がありました。みな無事です」。とありましたが、両親の声を聞くまでは落ち着かず、いてもたってもいられませんでした。ようやく連絡が取れたのは、夜の9時過ぎ。「今までで一番大きな地震だったよ……」。 千葉にある実家と、兄の自宅は、家の中で崩れたり壊れたりしたものはありましたが、みんな無事でした。ですが、ニュースやネットで知った被災地の信じられない、信じたくない現実に、言葉を失いました。

被災された皆さま、心を痛めている日本中の方々に、お見舞いを申し上げます。早く早く、元気で明るく美しい日本が戻ってきますよう、そして復興活動が迅速に行われますよう、韓国から祈っています。
ここ韓国にも、自分たちのことのように心配してくれる方々がたくさんいます。実際、隣国として素早く、手厚い支援・対応をしてくれたことに、本当に感謝しています。大韓赤十字社が発表したニュースによると、これまでで最高の義援金額を日本に送ったのだそうです。また韓流スターの方々が、個人的にも義援金の寄付をしてくださいました。私も韓国から、少なからずですが送らせていただきました。
本当は、すぐにでも日本の家族や友人を訪ね歩きたかったけれど……。私に今できることは何なのか、たくさんたくさん考えた末、今を精一杯生きること、一日一日を大切にして、自分にできることをやっていくことではないか、どうにかそんな答えを見つけ出しました。

日本を訪れた韓国の人々が口々に語る日本の印象、それは「きれいで美しい」です。私も新婚時代、韓国に4年ほど住んでいたころ日本へ一時帰国したときに感じました。「なんて空が澄みきっていて、きれいなんだろう」と。昼も夜も、空がどこまでもきれいだった。そんな誇らしい日本に戻れると信じて、笑顔で過ごします!!

がんばれ、日本!! 負けるな、自分!!

110317_2th.jpg

110317_3th.jpg

110317_4th.jpg

110317_5th.jpg